釣りあれこれ
次の釣りは2月に入ってからになりそうなので、暇にまかせてちょっと書いてみた。
70歳を越えたじいさんが何故手漕ぎなの?
なんて思われるかもしれないが、本人はこれしかないと思っている。
年相応よりも少しくらいは体力的に自信はあるが、所詮10歳もごまかせるわけではない。
以前と違って少し漕ぐとハーハーと息切れはするし、首も腰も一層頑丈?になってしまったために少ししか回らず、後ろ(進行方向)を確認するにも一苦労する。
だったら、そろそろ乗り合い船でもよいのでは、なんてことになりそうだが、そんなことはこれっぽっちも考えていない。
寧ろ昔はそんなに頻繁ではなかったが、地元茅ヶ崎港からのカッタクリや房総方面までイサキやハナダイ、イカ釣り船に出掛けることはあったが今はない。
沖に遠征する船(乗ったことはないが)は別として同じエリアに浮かぶ乗り合い船と比べれば釣果はどっこいどっこい、避けられないお祭りは嫌いだし、天気もわからないうちから予約してしまえば船長が止めると言わない限り雨でも風でも修行の釣りに出掛けないわけにはいかないし、などなど、気が向かないところは沢山ある。
ただ、乗らない理由は、そんなことではない。
好きなことができない、好きなところで釣らせてくれない、さあ釣るぞっ!と思ったら、さあ上げてっ!とくる。
乗合だから当たり前だし、仕方ない。
船長もお客になんとか釣らせたい、楽しんでもらいたいと必死なんだろうけど、これが乗らない一番の理由だろうか。
以前、手漕ぎボートの釣りにはアジやカイワリの様にコマセを撒いて周囲の魚をボートの下に集めて釣る“面の釣り”、
青物などを回遊ルートで待ち伏せして釣る“線の釣り”、
そして大マダイやハタ、その他の根魚の様に魚が居るところを見つけてピンポイントに仕掛けやルアーを落として釣る“点の釣り”があろうと書いたことがある。
手前船頭の手漕ぎボートでは狙い魚の種類によってこれらの釣りを使い分けることになるが、五目漁師は今書いた順に釣った時のやった感が大きくなると感じている。
コマセを撒いて周囲の魚を集めて釣ると言ってもやはりそれなりにポイントに入る必要はあることを考えると、いずれの場合も釣るためには魚の居る付近、あるいはやがてやって来る回遊路のどこか、そして正にお目当ての魚がいるピンポイントにボートを漕ぎ入れることが釣果の決め手になる。
欲しい魚を追い求めてこれらのポイントに自ら入り、今が正にそうである様に、釣りに行けずに部屋でうじうじと考えた作戦を繰り出して魚と勝負する。
これこそが釣りの醍醐味、釣りの楽しさだと思っている。
もちろん、漕ぎ疲れてたまたま一休みしたポイントで釣れたというラッキーな釣果もあるが、どこに居るかわからない時には海原を碁盤の目の様に区切って順に打っていくこともある。
これも訳の分からないこの場所ならこの方法でやるしかないと自分で立てた作戦の一つなので、当たればやった感はある。
次の釣りに向かって作戦を立て、道具や仕掛けを準備し、海に出て釣って、釣果を美味しくいただく。
こんな釣りの一連のプロセスの中で魚を探すという一番楽しい部分、ワクワクする部分を船長にまかせてしまうなんて、そんなもったいないことは五目漁師には考えられない。
(乗合船の船長にとってはこれが飯のタネ、決して楽しいとは思っていないと思うが)。
過去に自分で釣ったデータ、仲間から得た釣果情報、季節、水温、深さ、底質、風、潮流・・・を加味しながらお目当ての魚を探し求めて作戦を実行する。
だから釣れるとは言わないが、だから釣りは実に楽しいとは言える。
こんな釣りいつまでできるかわからないが。
本日もポチッとよろしくお願いします。
↓
にほんブログ村
最近のコメント